当教室のストーリー

当教室のストーリー

ヴァイオリンに一目惚れ

私がヴァイオリンを始めたきっかけは3歳のとき、テレビでヴァイオリンを演奏している姿を見たことでした。

ヴァイオリンを見たその日から、私は毎日のようにヴァイオリンをやりたいやりたいとしつこく言っていたそうです。

当時、ピアノの先生をしていた母の元に生まれた私は、周りに音楽が溢れる環境のおかげで、一目惚れしたヴァイオリンと触れることができたのです。

せっかく習うならと、本格的に厳しい先生のもと、ヴァイオリンをより深められるようにピアノも習いました。

ピアノの先生をしていた母と母にピアノを習う私の写真

道から外れた思春期

しかし、12歳の頃、厳しい先生があまりにも辛く、毎回青い顔をしている私を見兼ねて先生を変えてもらいました。

そこからヴァイオリンに取り組む姿勢が甘くなり、そのぬるい環境と自分の思春期が相まって、ヴァイオリンを習うことをやめてしまいました。

毎日のお稽古から解放された私は、暇を持て余すようになり遊び歩くようになってしまいました。

ついには警察に補導されてしまったのです。

再び音楽の道へ

さすがに私自身、すごく反省しました。
そんな私を見かねた両親の提案で、もう一度音楽の道を志すことにしました。そして、中学2年生の秋から音高受験のためのプログラムをスタートしたのです。

今までサボっていたが故に、音高受験に必要な音楽の基礎が全くできていませんでした。音楽の基礎であるソルフェージュを始め、
ピアノ、ヴァイオリンを徹底的に勉強し直しました。音高受験に必要なものは一昼夜で身につけれらるものではありません。

中学を午前中だけ行って、午後早退して音楽のレッスンに行く日も多々ありました。金銭的にもかなりかかりました。
そんな怒涛のような半年を過ごし、なんとか音高に入ることができたのです。そして、そのまま音大へ行きました。

音大在学時に参加したウィーン研修では、ウィーンフィル首席コンサートマスターやウィーン国立音大の教授のレッスンに従事し、オペラやコンサートを存分に聴きに行き、ヨーロッパ本場音楽の歴史に触れ、素晴らしい時を過ごしました。
その後講師になり、講師研修としてヨーロッパへ行き、レッスンを受けました。

バイオリンを引く幼いころの私の写真

人生最大の悲しみ

私の両親は数年前に他界しました。
私にとっては人生で一番辛い日々でした。
悲しさと喪失感で毎日のように泣いていました。

そんなときも、私を救ってくれたのは音楽でした。
両親が私にくれたギフト。

音楽の道というのは自分と対峙し、孤独に練習をした先に感動がある世界です。その世界で孤独と向き合ってきたからこそ、この辛い時期も乗り越えられたのだと思います。

そして、いつの間にかその孤独の世界の中で、音楽は私と共に一緒にいてくれる友達のような存在になっていたのです。

音楽を通して、同じ音楽の素晴らしさ、感動を共有し、共に演奏をしたり、音楽を感じる仲間もできていました。 両親が私に残してくれた音楽があったから、今私は教室を開くという新たなフィールドに立てているのです。

代表挨拶

多くの子供たちとそのご両親へ

私の人生は音楽と共にありました。
そして、その音楽が昔も今も私の人生に彩りを与えてくれています。

なぜ自分がそういう人生を歩めたのか?
それは私の両親が音楽という環境の元に私をおいてくれたから。
そして、素晴らしい先生と仲間に出会い、音楽の基礎はもちろん、
それを超えた先にある「境地=魂」で感じる音楽を表現し、分かち合うという最上の悦びを教えていただいたからです。

それは単に、ただ楽器を習う世界とは似て非なるものです。
楽器を奏でる。
それは歴史を伝えることであり、人生を伝えることであり、
心を伝えることだと。
それが本物の音楽だと私は思います。
それを感じられる人生を多くの子供達に歩んでもらえたら。
どれだけ人生がより豊かになり心の支えになることか。

そう思い、ただの楽器を習う場ではなく、音楽と触れる、本物を感じられる環境を子供達に提供できる音楽教室、そしてまた、音楽の道をより志す子供達が少しでもその道に志せるように、音楽の基礎を教える音楽教室を開くことにしました。

多くの子供達がToda Takako Music Atrieに出会うことで、音楽への道が開き、人生をより豊かに楽しめるようにできたら。
そう願っております。

現在の私